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自由帳(じゆうちょう)

桑井鳴の自由帳

天地有情

天地有情という言葉がある。哲学者の大森荘蔵のエッセイが出典らしい。自分の心情はそれ自身では存在せずに、眼前の世界の一部としてのみ存在するという意味である。つまり、心情は自分で決めることができず、外部条件に定められるということである。

確かに気候の良い日には気分が良くなるし、逆に気候の良くない日は気分も良くない気がする。イベントは雨天中止だし、せっかく咲いた桜も落ちる。このように、世界と心情は密接に繋がっていると言えそうである。
ちなみに私は雨が好きだ。傘をさしていても足元が濡れてしまうことは残念であるが、雨音を聞くと心が安らぐ。人間の心を落ち着かせるために雨が降っているのではないかと勘違いするほどである。一方で夏が嫌いだ。夏はイベントが多く、その楽しさは認めざるを得ないが、暑さがどうしても憂鬱さを呼び込む。また、鋭い陽射しと蜃気楼で視界が揺らぐ。夏の陽射しを火差しと呼びたいほどだ。

しかし、天地有情は勘違いにすぎないのではないだろうか。憂鬱な出来事があったらどれだけ良い気候でも憂鬱だし、喜ばしい感情は気候とは関係なく喜ばしい。たとえば葬式なんかは憂鬱な出来事であるが、その日に限ってまあまあ良い天気だったりする。また、試験の合格発表なんかは雷が鳴っていてもテンション最高潮である。

ただし、天地有情と勘違いすることを否定することはない。悲しい気分を天気のせいにしたり、外部のせいにすることはメンタルを維持するために重要であるし、精神衛生上良いからだ。