自由帳(じゆうちょう)

桑井鳴の自由帳

他人はエンタメ

私たちは毎日多くの娯楽に晒されている。たとえばテレビ、ネット、雑誌などがある。それはどこかしらでお金が動いて、利用者の元に届けられて…みたいな話をするつもりはない。そのお金が動く理由となる「人」。と言うよりは「他人」について書く。
(忙しい人はタイトルさえ読めばだいたい理解できます)

前述のテレビ、ネット、雑誌には作成者がいる。テレビだと制作会社のスタッフや出演者。ネットだと記事を書く人や広告を出す人。雑誌だとライターやデザイナー。無知だから全部列挙できないのだけど、多くの他人が関わって作成されている。当然遊園地なんかでも、そこの従業員だけでなく、アトラクションを組み立てた人なんかもいる。ブログ更新やTwitter投稿が趣味の人もSEさんなどの他人に支えられている。
このようにほとんどの娯楽には不可欠に他人が関わっている。
…と言っていいのだろうか。
「他人」が「エンタメ」を作り出しているのだろうか。
少し考えてみると、娯楽やエンタメはそこまで浅いものではない。たとえば腹黒と言われればそれまでだが、他人の悪口は楽しい。私の場合は自分に対する悪口すらなかなか楽しい。また、他人との会話も楽しい。心を許す相手なら特に。また、他人同士の会話を聞くのも楽しい。見知らぬ人でも、である。
また、前述のテレビ、ネット、雑誌の製作者はその作品の中に本人の人柄を残す。残さないという方法で残す人もいる。娯楽を提供するシステムを他人が組み立てるとき、その中に、「その人」が微かに残るのだ。

ここでもう一度考えてみると、「他人がエンタメを作る」のではなくて、「他人がエンタメ」であるように思えてくる。他人そのものがエンタメなのである。そうすると、エンタメの感覚が理解できるようになる、気がする。